八幡様のお祭り

昨日は私の生まれ育った町、東京の荒川にある尾久八幡神社の四年に一度の例大祭でしたのでちょっと出かけてきました。

画像


二年に一度、大祭とその中間の年の中祭にしか出てこないこの本社神輿がこの日は出御して町中を練り歩きます。(ちなみに大祭の年は日曜日に神幸行列がありますが、中祭りの年は神輿の渡御だけ)
宮出しは午後三時。一番暑い盛り。

画像


その前に本殿前で宮出し神事が行われます。

画像


祝詞奏上、玉串奉奠が終わると、木遣りの一節が高らかに謡われ、組頭の拍子木とともに神輿が担ぎ上げられ向きを変えて神様にお乗りいただくために本殿側を向きます。

画像


尾久八幡神社は鎌倉時代末期の創建。もう700年以上の歴史があります。正確な創建年月は伝わっていませんが、神社に残された最古の棟札に至徳二年(1385年)の記載があり、さらにこの尾久の地一帯が正和元年(1312年)に鎌倉鶴岡八幡宮に寄進されたという記録が残されていることから、ここの八幡神社もその時に創建されたものと思われます。今では「尾久の総鎮守」として下町っ子の心のよりどころとなっています。
私もかつては(気持ちの上では今も)そんな下町っ子の一人でした。

画像


宮出し。「エッサ、ホイサ!」勢いのいい掛け声とともに神輿は鳥居をくぐり大通りへ。

画像


ここは電車道。今では東京でここだけになった都電が走っています。神輿渡御の間は道路は通行止めになるのですが、都電だけは通常運転。このため接触事故を防ぐために線路との境目には常にお巡りさんが数人立っています。

画像


この本社神輿は台座三尺二寸。日本最大と言われる深川富岡八幡宮や浅草三社の宮神輿には及びませんが、龍頭五段枠組のかなりの大神輿です。
子供の頃、この大神輿を担ぐのは夢でしたね。子供神輿を担ぎながら「いつか大人になったらあのデッカイの担いでやる!」この町の男の子なら誰しもそう思った。
でも父親の工場移転のあおりを食って高校進学間もなく埼玉に転居。とうとう夢はかないませんでした…。

画像


四点棒にトンボ(二本の横棒)。神輿に取りつく担ぎ手は70~80人になります。

画像


神輿行列は電車道の両側を折り返すようにして約三時間して神社に戻ります。最初の折り返し点となるこの場所はかつて私が住んでいた通りの入り口の交差点。

画像


真夏の炎天下、汗だくになりながら神輿をかつぐ氏子衆。
でも、誰も彼もいい顔をしていました。
不思議なことに、八幡様のお祭りの日と言うのは子供の頃からの記憶でもいつも晴れなんですよね。夕立が来たという記憶もない。この前の週に行われる隅田川の花火大会がよく雨にたたられるのとは対照的です。

画像


下町はここに限らず人口流出が進んで、かつての活気が衰えつつあります。
新しく移り住んできた人はなかなか地域に溶け込もうとしない…。
新しい都知事が就任して下町の再開発をビジョン化しようとしていますが、願わくばその再開発が血の通ったものとなることを祈っています。

画像


夕方、幼馴染と飲みながら語り合った時に出た言葉。
「町壊しになるような再開発なら要らない…」
そう、私の「ふるさと」をどうか壊さないでほしい。それは切に願います。

"八幡様のお祭り" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント