勝手に古関裕而メドレー(^^;

「エール」、先週はなかなかアツイ話でしたね~。
朝ドラには珍しい熱血モノのノリで。早稲田OBとしてはたまらない週でした。(^^ゞ
一昨日は思わずTVの前で歌っちゃいましたよ、「紺碧」。

まあ、あの話の中で応援団が大学の事務局長を監禁したというのはさすがにフィクションです。
わずか一晩で作曲しちゃったというのは…あれもちょっと話を大げさにしているんでしょうが、ただ実際の古関裕而さんは戦時中にある曲をわずか3時間で作曲して放送に載せるという離れ業をやった実績があるんですよね。それから考えれば、ありえないことではないと。(^^;

ところで「エール」の物語中でで古山裕一と同期入社した、野田洋次郎さんが演じる木枯正人というのは古賀政男さんがモデルになっています。
古賀政男・古関裕而といえば昭和歌謡史上の両巨頭ですが、互いにライバル関係であるとともによき理解者であったことは事実のようです。実際に古関裕而がヒット曲が出せずクビになりかかったとき、古賀政男が会社に抗議して彼を救ったというエピソードがあります。

古関メロディー・古賀メロディーなくして昭和の歌は語れませんが、私が子供の頃の昭和40年代中期の時点ですでにどちらも「懐メロ」に分類されるものでした。若い人はもう新しい歌に夢中でしたから。ビートルズやら森進一やら小柳ルミ子やら天地真理やら…え?それも今は懐メロだ?そうですよね。(^^;
私はちょっとそういう意味では異端だったかな?その頃から昭和20~30年代の歌好きでしたからね。
それでいてフォークソングも好きだった。両刀使いだったのかな。(^^;

当時古賀メロディーや古関メロディーを愛唱した世代はもう多くが後期高齢者となっていて、これらの歌はやがて時代とともに忘れ去られて…はいかないんですよね。不思議なことに。
当時は新しい歌だけに夢中だった世代が今50代60代になってみて、なぜかこうした唄を口ずさんでいる。親の世代が愛唱していたからそれを間接的に聴いて育った、ということもあるでしょう。でもそれだけじゃない…。なぜなら世代間断絶がありそうな20代・30代の若い人もこれらの唄をよく知っている人多いんですよ。しかもカラオケで歌っていたりする。
やはり世代を問わず、「古くても新しくてもいいものはいつの時代になってもいい」ということなんでしょうねぇ。
この「エール」の放映でさらに古関メロディーを聴く若い人が増えるかもしれませんね。

今日はそんな古関メロディーを並べてみました。
子供の頃、親がTVやラジオで聴いているうちに覚えちゃったという曲が多いですが。
YouTubeから9曲も引っ張ってきちゃったので、全部聴くと30分くらいかかりますのでお暇な時に。(^^;

まずは「紺碧の空」。正調版です。


古関裕而さんの本格的作曲人生はこの曲から始まったという事実は我々早稲田OBにとっては感慨深いですね。
この歌と「都の西北」は我々にとって人生の応援歌でもあります。心が折れそうなときに口ずさんだり。他校OBの方々がやはり母校の校歌と応援歌を心のよりどころにされているのと同じように…。
7年前、仲間と共催でタンチョウの写真展を東京で開いた際に、作品の表題にこの歌の歌詞を使いました。
今だから言いますが仲間からは「著作権上マズくない?」と言われたりしたんですが。
恩師や同窓生はじめ母校出身者の方も多く観に来られましたが特に苦情はなく…。まあ「OBですからカンベンしてください」ということで。(^^;
その写真はこちらに載せてます。

ちなみに戦後すぐ、古関裕而さんは「我ぞ覇者」という慶應の応援歌も作っています。

さて古関裕而さんは1935年に発表した「船頭可愛や」が初のヒット曲となり遅ればせながら昭和歌謡界にデビューするのですが、その翌年に作曲されたのがこれです。




そう。皆さんご存じ「六甲おろし」。
以前の記事で私は「闘魂込めて~巨人軍の歌」をメインに紹介しちゃったんですが、そしたらそれを見たトラキチの友人からメールが来て「こっちのほうが早いんやで!」と言われてしまいました。(^^;
で、調べてみたら…確かに。「闘魂込めて」は戦後の1963年発表なのに対し、この「六甲おろし」はなんと1936年発表!
四半世紀以上も早いのです。
恐れ入りました~~~~~。<m(__)m>
当時は球団名は「阪神」ではなく「大阪タイガース」。
あの「オウオウオウオウ~阪神タイガース!」というフレーズは本来「オ・オ・オ・オ~大阪タイガース!」と「オ」が続く形なのだそうで。

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わ、わかりましたぁ~~~!
タイガース命のモカちゃんです。(^^;

昭和歌謡界にデビューした古関裕而さんでしたが、世は戦争の時代へと向かいます。
終戦までの間、さまざまな戦時歌謡を作曲することになります。現在でも戦時歌謡のCDなどを見てみると半数近くが古関さんの作曲によるものですね。
ちなみに戦時歌謡は「軍歌」とひとくくりに言われることが多いですが、厳密にいうと「軍歌」と「戦時歌謡」は別のものです。陸軍なり海軍なりが主導して作曲させたのが「軍歌」であり、民間の歌謡曲として戦時色を帯びたものが「戦時歌謡」です。「軍歌」は例外なく兵士の士気向上を目的として作られたものであるのに対し、戦時歌謡は表向きは当時の軍の目を意識して戦意高揚を謳っていますが、その実裏面ではどこか反戦的な色彩を帯びた曲も多いですね、
誰しも戦争のための歌など作りたくない…当時の作曲家や作詞家は心の中に大きな葛藤を抱えていたことでしょう。
せめてもの抵抗だったのか…歌詞も曲調も哀調を帯びたものが多いのはそのためだったかもしれません。

ちなみに冒頭でちょっと触れた古関さんが「3時間で曲を書いた」というのは太平洋戦争開戦当時のことで。
イギリスの戦艦二隻を撃沈したマレー沖海戦の当日、その戦果を歌に乗せてその日の夕方のニュースで流せ!という軍のムチャな要請を受けて古関裕而さんが作ったのが「英国東洋艦隊壊滅の歌」という曲。午後4時の大本営発表からわずか3時間後の午後7時にはもう藤山一郎さんがマイクの前で歌ったという…これは神業ですね。作曲作詞も歌う方も。(^^;

しかし、戦後、古関さんは戦時歌謡の話になると口をつぐみ気味だったと言います。
結果として自分が作った歌に乗せられて多くの人が戦地に赴き、そして帰らぬ人となってしまったことに生涯心を痛めていたそうです。




この「ラバウル海軍航空隊」という歌は予科練を歌った「若鷲の歌」とともに飛行機乗りになることへの憧れを多くの若者に抱かせ、航空隊への志願者を急増させるという現象を生みました。
しかしこの曲が発表されたのは1944年1月。すでに日本は敗色濃く、若者が憧れたラバウルも連日の米軍の空襲に遭っていてその直後に戦線の後方に孤立してしまうことになります。そして一年も経たぬうちに「航空隊に入っても乗る飛行機がない」という事態になり、若者は旧型機での特攻に駆り出されていく…。
おそらく「エール」の中でも戦時歌謡を数多く作曲したことによる古山裕一の苦悩というのは描かれることになるでしょうね。

余談ですが、いつの時代も男の子は軍艦や戦闘機に憧れるものです。これは雄としての闘争本能の名残りということもあるのでしょう。私が子供だった頃も戦艦大和やゼロ戦のプラモデルを皆競うように買ったものでした。その頃の少年雑誌にも戦記物マンガがたくさん載っていましたね。「紫電改のタカ」「あかつき戦闘隊」…。私も読みました。
それでも私の頃の子供たちは軍艦や戦闘機が「カッコイイ」と思う一方で「戦争は悲惨なもの。起こしてはいけないもの」という気持ちも併せ持っていました。一見すると矛盾するような思いが心に共存していたんですよね。心に「歯止め」があった。
それは親から直接聞かされた戦争あるいは空襲などの悲惨な体験話もあったし、先の戦記物マンガにしてもそうした思いがこめられていた作品が多かったからかもしれない。特に「紫電改のタカ」のラストは…。
でも現代を振り返ってみると、その「歯止め」が失われつつあるような気がしてなりません。マンガにしてもゲームにしても闘争本能に任せてひたすら敵を「やっつける」だけ。戦うことのむなしさ、戦争の悲惨さというものを伝えることを忘れているような。非常に「あやうい」な…と思うことが多々あります。

閑話休題。

やがて終戦。
戦後、古関さんは焼け野原になって暗く沈滞した日本を音楽の力で明るくしたいという思いから曲を作ることになります。
その代表的な曲がこれ。




戦災孤児たちが力強く生きていく姿を描いたラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌です。
四番の「明日はもっと幸せに」という歌詞は当時の日本人全ての願いだったでしょう。
うちの母親がこの歌はよく歌ってました。
終戦後、家が貧しかったため高等小学校を卒業した後すぐに働きに出て桐生にあった紡績工場で仕事をしながら聴いたそうです。

子供の頃、よくお袋に口癖のように言われたのは「我慢しなさい!」という言葉でしたね。貧しい、大変な時代を経験したからこそ「今はいかに恵まれているか」ということを伝えたかったんでしょう。その頃それを言われるたびに反発していましたけど、今この歳になってよくわかります。それは有難いことだったと。
さて現在はどうでしょうか…自分の子供に「我慢しなさい」と言える母親、減ってきてしまっていないかな?
何より親からして恵まれた時代に育ってきてしまっているから今の豊かさが「当たり前」だと思ってしまってる。親自身が「我慢できない」ものだから当然自分の子供にもそうは言えない。結果、請われるままになんでも買い与えている…そしてわがままなまま大人になっていく子供が増えていっていないか…。

今の豊かさが「当たり前」だと思ってはいけない。「当たり前」だと思っていたものがある日突然なくなったら…?
今回のコロナ騒動でそれを思い知った人が多いのではないでしょうか。
むしろ不自由なことを当たり前だと思うことが必要だと。
終戦直後というのはそういう時代。それでもその中で皆希望を持って生きていた。
この歌と物語はそれを伝えてくれます。いい曲ですよね。

ところで…小池東京都知事が新型コロナ対策の緊急事態宣言解除に関して「感染が再拡大するようなら『東京アラート』がキンコンカンと鳴りますよ」と言ってましたが…。
言ってることはわかるけど、表現センスのない人だなぁと思いましたね。(^^;
「キンコンカン」というのはそういう危機的状況で鳴る音じゃないだろ!と。
この「とんがり帽子」の唄を知ってる人なら例外なくそう思ったはず。あれは明るい音なんだから!
もうちょっと違う表現なかったのかねぇ~?(^^;

そして1949年に発表されたのがこの歌、「長崎の鐘」。
「エール」の第一話で、親兄弟すべて原爆で失った長崎出身の大会係員が「生きる希望ば与えてくれたのは先生の『長崎の鐘』です!」と言っていた曲です。




これは原爆の犠牲になった長崎の人々への(そして日本全体の戦災犠牲者への)鎮魂歌でもあるとともに、自ら作曲した戦時歌謡によって戦地で散華した多くの人々の魂を弔うという気持ちで作曲されたようです。そしてそこからの再起を願うという心と平和への祈りが短調から長調に転調する部分に出ています。
「二度と戦争は経験したくない」という気持ちが作らせた曲でしょう。
ちなみに表題に出ている「鐘」とは廃墟となった浦上天主堂の瓦礫の中から奇跡的にほとんど無傷で掘り出された鐘のことで、今も再建された天主堂でその音色を響かせています。
「エール」を見ていると、そこここに教会あるいはキリスト教の描写が出てきますが、それはこの曲への伏線のような気がしてなりません。

そして戦後復興の道筋がついて世に明るさが戻り始めた時期に作られたのがこの歌。




これは今でもけっこう若い人もカラオケで唄ったりしてますね。
実は我々SL撮影仲間もカラオケに行くと、この曲は必ず唄います。
なぜかというと、この曲を唄うと画面に必ずといっていいほどSLが出てくるから。(^^;
「高原列車」というと誰しもが思い浮かべるのは長野県の小海線でしょうかね。
ですからこの曲もモチーフになってるのは小海線だと思っている方が多いようですが(私も初めはそう思ってました)、実はモデルになっていたのは福島の猪苗代町にあった「沼尻軽便鉄道」なんだそうです。古関さんの実家とほど近いんですが、果たしてそれをご存じだったかどうか。

で、驚くのはこんな歌も作曲していたんですね。



「モスラの歌」。
怪獣映画の挿入歌。(^^;
東宝特撮の音楽と言えば何といっても伊福部昭なんで、私はこの曲も伊福部メロディーかと思っていたんですが、なんとこれは古関裕而さん作曲。
私的にはやっぱりザ・ピーナッツがしっくりくるんですが、調べてみるといろんな人がカバーしてるんですね。
これ、歌詞暗記してます。(^^;
テキトーに言葉を作ったのかと思ったら、なんとちゃんとしたインドネシア語なんだそうです。
昔、大学のコンパで「罰ゲーム」として上半身裸にされて男同士で(!)唄わされた記憶があります。(キモッ!)

忘れてた!
古関裕而さんの曲といえば、何と言ってもこれでしょう。老いも若きも歌える曲といったら…




毎年夏になると、日本国民こぞってTVやラジオの前で手に汗握って球児たちの健闘に熱狂する。日本の風物詩でもあり、誇るべき文化でもある。この歌知らない人はいないでしょう。
ちなみに発表されたのは戦後間もない1948年。この歌にも復興への希望が込められているんですよね。明るい曲調とともに。
最初に唄ったのは伊藤久男さん。「エール」では山崎育三郎さん演じる佐藤久志となっていますね。

今年の夏の甲子園、中止になってしまいましたね…。
ともすると目標を見失いがちな球児たちに全国からエールを送って励ましてあげたいものです。

そして、古関裕而さんの音楽の集大成であったのであろう曲が「オリンピックマーチ」。
「エール」でも西洋音楽にこだわり続ける古山裕一クンですが、実際の古関裕而さんも多少そういうところはあったようで、クラシックの作曲も手掛けていますし、ある意味音楽ジャンルの裾野は古賀政男さんよりも広かったかもしれません。
その想いが形を変えて結実したのがこの曲でしょう。



名曲ですよね。
この1964年の東京オリンピックの時、私は幼稚園児でした。ですから記憶に定かでないんですよね。前回の東京オリンピック。私より数年早く生まれていた人は覚えているんだろうけど。
だから来年のオリンピックはぜひこの目で見たい!
コロナ感染が収まらなかったら中止なんて言われているけど…なんとかそれまでに終息させて開催にこぎつけてほしいですね。

そしてその時、開会式の入場で使うマーチは新しい曲を作ったりしないでこの曲を使ってほしい!
この明るさに満ちた曲を。
数あるオリンピックマーチの中でも群を抜いた秀曲だと思います。
ロス五輪のファンファーレとテーマが人気があるけど、私はこっちのほうが数倍好きだな~。

古関裕而さんの名曲、まだまだ挙げればたくさんあるんですが、キリがないのでこの辺で。
全国の小中学校・高校の校歌も多く作ってます。
「あ、うちの校歌もそうだ」という方おられるかもしれませんね。(^^;

朝ドラ「エール」、来週からは新展開になっていきそうですが、これらの名曲がどこで登場してくるか、それも楽しみですね。

ところで、今回主人公の古山裕一クンを演じている窪田正孝さんですが、顔つきが古関裕而さんによく似てるんですよね。それも若い頃ではなくて円熟期を迎えた時期の古関裕而さんに。
まさかそれで主役に抜擢されたわけじゃないでしょうけど。(^^;
それはともかく、好演してますね♪






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